2012年04月15日

三陸を染める 甦れ三陸の原風景

4月13日(金)14日(土)の二日間 岩手県大船渡市のリアスホールを会場に「三陸を染める-甦れ三陸の原風景展」と題し当NPO陸前高田支部の金野さん(金野染物店)が開催されました。
金野さんの住む陸前高田市は昨年3月の震災(津波)で甚大な被害を受け当地の景勝地、高田松原はたった一本の松を残し美しい砂浜に続く7万本もの松並木が一瞬にして消え去りました。「故郷の誇りと多くの思い出が詰まった松原が無くなった事は高田市民にとってとても悲しい出来事でした。私の住む陸前高田以外にも同じように三陸地域の景勝地は大きな被害を受けています。せめて美しかった故郷の思い出の地を自身が携わる染色を通じ再現し多くの方にご覧頂き少しでも心安らぐ時間をお持ち頂ければ、また、全国の方たちにもご覧頂き今後も続く被災地の復興に少しでも想いを寄せていただければ幸いです」(金野さん談)
当日はNHKさんや岩手朝日テレビ、他の取材もあり多くの方たちのご来場頂いていました。
(作品は石巻の金華山から北山崎までの10景13作品と作者(河野準氏)の原画スケッチ等の説明と展示)
来週20日21日は気仙沼市の市民会館を会場に展示を行います。(10時〜5時まで)

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金野 ヨシ子さん (高田松原の作品の前で)

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なれないテレビ取材で緊張

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多くのお客様にご来場頂きました

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奇跡の一本松(作品-名古屋帯)





posted by 和 夢 at 09:29| 三陸を染める | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月12日

津波に奪われた故郷

震災当時の話をお伺いしながら金野さんの故郷に対する想いを、染物を通じて表現できないか。そんなお話をお聞きした。
陸前高田には高田市民が愛した高田松原と言う美しい松並木が続く海岸があった。今、70,000本あった松はただ一本となり2qにも及ぶ弓なりの砂浜は海の中に・・・。
子供が小さいとき家族や仲間と楽しく過ごした思い出の松原をもう見ることが出来ない。高田に限らず三陸海岸一円では同じように故郷が津波の被害を受け、地元に住む人はもとより帰省するたびに見ていた思い出の地を失った人もたくさん居るだろうと思う。その美しかった三陸の景勝地を自分が長年携わってきた染で甦らせてみたい。そんな想いを語られた。

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昭和47年頃の高田松原の砂浜 砂浜で野球

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昭和35年頃の高田松原 金野さん友人と

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昭和48〜9年頃の松原と砂浜 地区の行事でスイカ割り

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現在、たった一本になってしまった松原の松


私も何かお手伝いが出来ないか・・心当たりを当たってみる事にした。

posted by 和 夢 at 13:00| 三陸を染める | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

3.11 明暗を分けた会議

8月18日
「ゆかた支援」も終了し、ひと段落。次の支援活動が始まる前に震災当日の状況をゆかた支援の先頭で動いていただいた当協議会の陸前高田支部、理事の金野さんにお伺いしてみた。

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高田松原のすぐそば、三角屋根が道の駅タピック45 左が太鼓館
海沿いの45号線にあり津波が直撃,鉄筋の建物は残りましたが中は全て流され周囲の木造施設は何も残っていません。


3月11日午前10時、金野さんは商工女性部の代表として高田松原そばの道の駅タピック45のとなりの太鼓館で4月に高田市、酔仙酒造で行われる予定の第17回桜まつりの実行委員会の会議に参加していたとの事。通常は午後2時頃に行っていた会議が5日前に午前に変更され危うく難を逃れたそうです。今思うと当初の2時の会議だったら今私はここに居なかったのでは・・・ちょっとした違いが大きく明暗を分ける事がある。そう実感させられ、時間を変更してくれた事務局長に感謝していると語られていました。しかしその後、実行委員16名のなかで5名もの方が津波の犠牲になられたと聞いたそうです。
金野さんはその会議を終え自宅に戻り2時頃から着付け教室で生徒さんの指導をされていた2時46分、ドーンと突然、経験したことない縦横の激しい揺れ。
家が潰れてしまうのでは、生徒さんと外へ出て車で安全な場所へ避難、車を下りてもまだ揺れは治まらず歩くのも困難な状況。そんな恐怖の中、生徒さんに「大丈夫だよ!」と声をかけ、気持ちを落ち着かせようと揺れがおさまるのを待ったそうです。
その後、高台から町の様子を見るとどこも道路が川になり家や車を流していく光景は信じがたくまさかこんな事に成るとは、津波の恐ろしさ、立ちはだかれない脅威に立ちすくむしかなかったと語られました。
幸いにして家は高台にあった為に津波の被害にはあいませんでしたが地震によりご主人が経営する養鶏場は全壊、住宅は半壊でしたが生活するには問題なく家を流された親戚2家族で11名で落ち着くまで助け合いながら生活されたそうです。
陸前高田市では人口24,000人の内、約2000人の方が震災の犠牲になられ美しかった松原や町並は津波の被害で何も無くなりました。その中からの復興、金野さんは現在、市の復興会議や商工女性部部長、当協議会の「きもの支援」委員長もつとめ復興に日々活動されています。
posted by 和 夢 at 11:10| 三陸を染める | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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